第二十章 道の末に

第119話 別れのための蓋



 アンブロシア決戦、後にそう語られる戦争が終わった。ザニアルド大国、ビリト大国、そしてファザマルドの各軍による混合軍が勝利をおさめた。もっとも、レスティール連合軍が壊滅したことが勝利へと繋がった。レスティール連合軍に属していたキュバリミラス大陸の小国の男たちは皆、魔界に取り込まれた結果、誰ひとりとして戻らなかった。魔界に取り込まれ、力を注がれた者たちは全員浄化されてしまったのである。戦場であったアンブロシアに残ったのは混合軍の兵士たちだけだった。
 混合軍の総大将であるレリエルは空にまだ光のベールが残っている中、少しばかり急いた気持ちで塔を目指して歩いていた。何故だか胸がざわつくのだ。急ぐ足だが、道中自分を慕ってくれる兵士たちが声をかけてくる。よくぞご無事で。そう言って涙を眼に浮かべる者もいた。その者たちの肩に手を置き、一言労いの言葉をかけてやるとレリエルは再び塔を目指した。そして塔の入り口へと続く階段を上がると、ちょうど塔から下りてきたサルフと入り口前の広場で遭遇した。

「レリエル」
「サルフ!無事で何よりです…!」

 しかしサルフは傷を負っていた。その傷がディスダスにつけられたものだということはサルフは国に帰還するまで誰にも言わなかった。サルフはその怪我を見て目を見開いたレリエルを安心させるように大丈夫だと一言言った。そしてレリエルが口にする。エアル嬢とスバルはどこに?それを聞いたサルフは眉を潜めて塔を見上げた。

「あの二人なら、シャビルセンテと共にいる」
「大始祖シャビルセンテと…?つまりは、儀式は…」
「儀式は成功したんだ。だから、こうして敵さんはみんな消滅したのさ」

 広場に残っていた夥しい血の跡を見つめながらサルフが言う。サルフはどこか上の空な物言いだ。レリエルが心配してサルフの腕のない肩に触れようとすると、サルフは再び塔を見上げた。空は未だに光のベールに包まれている。

「レリエル、二人からの伝言だ」
「え?」
「”いままでありがとう”」
「えっ、ちょっと、待ってください…! それは、一体どういう…」
「二人はシャビルセンテと共に新世界へ渡った」

 ああ、胸のざわめきはこういうことだったのか。レリエルは自らの胸を押さえた。納得いくわけがない。戦争に勝利し、儀式も無事にとり終えたというのに、どうしてあの二人がいなくならねばならない。言えばサルフも同じことを直接エアルとスバルに言ったらしい。シャビルセンテと共に新世界へ向かおうとする二人の背に、まったく同じことを投げかけた。するとエアルは振り返り、教えてくれた。そういう約束だったの。

「これじゃあ…まるで、エアル嬢とスバルが、世界のために犠牲を払ってくれたようなものじゃないですか…! 二人には、この戦乱後の世界で…幸せになる権利があったはずなのに!」
「今ならエナの気持ちがわかるんだ、そう言っていた。俺にはエナってやつがどんなやつか知らないけど」
「エナ…」

 愛する夫のために、世界のために命を投げ打ってでも自分たちを救ってくれた人。エナのことを思い出すと、レリエルは息を大きく吸い込んだ。そして塔を見上げる。光のベールが消えつつあった。

「別に死ぬわけじゃない。生きて新世界へ渡るだけだと言っていたよ」
「つまり、古人となるのですね。エアル嬢とスバルは」
「おそらくな。それに、あっちでも二人なら幸せに暮らしてくれるだろうさ」
「……ええ、そうですね」

 光が消えていく。レリエルは光に向かって深々と頭を下げた。

「エアル嬢、スバル、お疲れさまでした。いままで、ありがとう」

 頭を下げたままそう呟けば、遠くでエアルとスバルの笑い声がした気がした。




 混合軍は戦争後、五日間アンブロシアに滞在した後にザニアルド大国へと帰還する。そしてその道中、その日の野営地で休憩を取っているレリエルの元にケイがやってきた。

「おい」
「やぁ、ケイ。どうかしましたか?」

 ケイはレリエルの顔を見つめた。

「私はここで失礼する」
「?」
「私の…仕事は終わったのだろう?もうすべき役目もない。ここから伯父の農園は近いしな、このまま離脱させてもらいたい。それに…たかが一介の密偵、大国お抱えの密偵職なんか割に合わない」
「そんな…あなたほど優れた密偵を見たことがありませんよ。このままザニアルドへ、共に」

 何気なく差し出された手。ケイは頬を赤らめるがその手を取りはしなかった。

「そう易々と大国の王が素性の怪しい女に手を差し出すもんじゃない」
「君は怪しくなんてないよ。仕事ぶりを見ていればわかる」
「…触れてはいけないんだ。私ごときが、お前に。その手を取ることはできっ――」

 ぐだぐだと言い訳を述べるケイに痺れを切らし、レリエルが彼女の腕を無理やり掴んで引き寄せた。抱きしめるわけでもなく、引き寄せただけであったが、ケイは顔を真っ赤にして目を大きく見開いていた。

「君はえらく身分を重んじているようだけど、そんなもの関係ないよ。私はこうして、仲間に触れたいだけだ」
「っ…だ、だ…だからといって…!こういう触れ方は!違うだろう!?馬鹿か!」
「馬鹿で大いに結構!大切な仲間に触れられないなど、悲しくてしょうがないよ」
「た、たまたま…お前に雇われたから…こっちに付いているだけのことだ…もし連合軍側に雇われていたら、私はそっちに付いていた。私はお前の言う仲間にしては、関係が浅すぎる」
「浅くて何が悪いんです?浅くたって、君はもう大切な仲間の一人だ」

 すっと頬に手を寄せる。一瞬身体を強張らせたケイを見て、レリエルは優しく微笑んだ。その笑顔がケイの顔をさらに赤くさせた。レリエルは優しく笑うだけである。それ以上ケイに何も手を出さないレリエルこそ、決意を持って彼女に接していた。
 大切な仲間、それに間違いはないのだけど、身分など気にしていないのも事実だけど、それ以上は踏み込んではいけないと頭のどこかで警鐘が鳴っている。エアルとスバルが新世界へ渡ることを決意した理由を思えば、自分の気持ちに蓋をすることなど容易かった。まだ確実なものではないが、このまま共に平和に暮していれば芽生えていたであろう気持ち。芽が出る前に、育つ前に光のあたらぬ場所へ。

「ケイ、私と共にザニアルドへ。ほら、君に支払う謝礼についてもちゃんと話し合わなければならないだろう?それまででいい。私たちと…私と、共に」
「っ…」

 気持ちに蓋をした。しかしそれでもこのケイという娘の反応が面白くて目を離せないでいた。あと少しだけ、少しだけ見させてくれ。レリエルはようやく自分の手を取ってくれたケイの手をしっかり握り返した。



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