ふたりぶん
深夜、ごみ箱にまた手付かずの料理が放り込まれる。
「仕事が遅くなるからご飯は要らないって…」
ごみ箱の蓋を開けると、生ごみの臭いが立ち上ってきた。
また増えた、生ごみ。
昨日捨てた料理が少し変色して顔を覗かせている。
その下には一昨日の料理、その更に下にはその前の日の料理。
それからその下は―――。
「あぁ違うのよ。その言い訳は昨日使ったじゃない…」
空いたお皿を流しに放り込んで、髪を掻き上げた。
溜息を一つつく。
あの人が帰って来なくなってから今日でもう5日目になる。
毎晩、夕飯時になると冷たい部屋のテーブルに料理を並べる。
深夜になると、その手付かずの料理を捨てる。
自分を誤魔化すために口実を作っては、生ごみに放り込む。
そんなことを始めてからもう、5日目だ。
ねえ、早く戻ってきて。
翌日、仕事終わるとあたしはさっさと帰り支度を済ませてロッカーを閉めた。
「…今日でもう何日目だ?」
不意に男に声を掛けられた。
男は名を哀庭といった。
仕事先の先輩で、あたしよりも5つ年上だ。
彼は憐れむような目であたしを見ていた。
「余計なお世話ですよ。ただの、自己満足ですから」
彼は、あたしの儀式・・を知っている。
二人分の夕飯を作っては、帰って来ないあの人の分を捨てる儀式のことを。
「食材が無駄になるだけだ」
「貴方には関係ない。気が済むまでやります。
…あの人のことも一緒に捨てられる、そんな日が来るまで」
あたしは自分の脇に置いてあるビニール袋を手に持った。
ずっしりと重みのあるそれには、今日の夕飯の食材が入っている。
あたしはこれから帰宅して、夕飯を作る。
もちろん、二人分だ。
「帰って来ない人間のためにそこまでしてやる必要はないだろ。
作り続けたって何も変わらない」
「あたしは、自分のためにやってるんです」
「…また今日も捨てるんだな」
「そうでしょうね」
「あんまりイイ趣味じゃねぇな」
「えぇ、分かってます」
哀庭さんは、もうあたしの方に顔すら向けてくれなかった。
あたしは小さい声で、お疲れ様ですと挨拶をして頭を下げると、
彼に背を向けて事務所を出た。
風が冷たくなった秋の入り口、空はもう暗かった。
あれからもう一週間経ったのね。
戻ってこないと知っていて作り続ける夕飯に、
本当は意味なんて見出だしてはいない。
もう一種の癖みたいなもので、夕飯を作るときは無意識に二人分作ってしまうんだ。
綺麗に盛り付けを工夫して、テーブルに並べて、
褒めてくれる相手なんていないのにあたしは誇らしげになる。
それからあたしは空席の前に腰を下ろして、
日毎上達してゆく夕飯を独りで食べる。
時々、空席にそっと目をやりながら。
気付くとあたしのお皿は綺麗になっていて、向かいのお皿には変化がない。
先刻は湯気が立って温かかった料理も、やがて冷めて固くなっていく。
そして最期は、ごみ箱にいく。
無駄だって知っているのよ。食材も、あたしの儀式も。
哀庭さんの言った通りよ。
でも、あたしは現実をありのまま受け入れることなんて出来ない。
この儀式は、あたしの心を守るためのディフェンス・システムなんだから。
やりきれない想いを抱いたまま、部屋を出た。
冷めた料理を残して、コンビニへ行った。
デザートを買ってみた。やっぱり二人分。
帰宅すると、あたしの部屋のドアに見覚えのある人影が寄り掛かっていた。
「哀庭さん……?」
恐る恐る近付いて声をかける。
「食後のデザートでも買いに行ってたのかい?」
彼はドアから離れるとあたしの正面に立った。
呆れたように笑ってあたしを見ている。
「…どうして此処にいるんですか?」
彼はくるっと背を向けると、両手を頭の上で伸ばして身体を解し始めた。
あたしが先に彼の質問に答えるしかないようだ。
「……モンブランです。デザートは」
「そうか。そりゃ旨そうだ」
彼が振り返ると、あたしの視線とぶつかった。
再び彼が口を開く。
「食材が勿体無くてなぁ…。お前に作るなって言っても作り続けるし。
作っちまうんなら仕方ない。食うしかないだろ、誰かが」
「食べに来たんですか、あなたが?」
「あぁ、そうだ。俺じゃあ迷惑だったか?」
あたしは思わず視線を外した。
何だか突然身体が熱くなってきた。
「…ご飯ならあります。あるけどっ…冷たいです」
「いいよ、それでも」
よく分からない感覚なのに心地よい感覚だ。
あたしは手元が狂いそうになりながらドアを開けて、彼を招き入れた。
「電子レンジはあんだろ」
「ないです」
「え…!」
「…嘘です」
冷たくて暗い部屋に明かりが灯った。
ずっと独りだった部屋に、会話が生まれた。
「お前な…!下らないことばっかり言ってないでさっさと温めろよなぁ」
「はい…っ!」
あたしは久しぶりに笑顔を作った。
彼のその存在をそこに確認したから。
あたしはきっと、これからも夕飯を二人分作り続けるだろう。
でも、今日から夕飯を捨てることはないんだ。
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